えにし

ちょっと軽い話です。
必要があって、『蔵原惟人評論集』(新日本出版社)の第1巻(1966年)をめくっていたのですが、1929年2月に『読売新聞』に連載された、「明日の文壇を観る」という文章がありました。当時の新進作家たちを軽く論評したものですが、まあ、言いたい放題。
上田文子(円地文子)の戯曲を「形式は新鮮を欠き」「現代風に粉飾された類型」といってみたり、竜胆寺雄を「新時代と何等の連繋をもっていない」とスパッときってみたり、あるいみ痛快です。
プロレタリア陣営の作家では、小林多喜二を高く評価しています。(このときはまだ「蟹工船」は出ていません)あと、窪川いね子(佐多稲子)と岩藤雪夫、武田麟太郎の名前もみえます。
一方、新感覚派系統では、堀辰雄を「横光利一その他によって示された道を、何等の発展なく、そのまま踏襲していこう」という判断をしています。たしかにこの時点では、「聖家族」はまだですしね。意外と評価が高いのが、中本たか子なのです。「横光およびその他の新感覚派の人々が商業都市的感覚をもっているに対して、より工業都市的な感覚をもっている」というのです。
このとき、蔵原さんは、将来の伴侶になるとは考えもしていなかったのでしょうね。