夢のありか

中国明代の短編小説アンソロジー『今古奇観』(千田九一・駒田信二・立間祥介訳)です。中国古典文学大系版と東洋文庫版(いずれも平凡社)があります。
短編のアンソロジーなので、どれということもないのですが、白話という、当時の中国語のはなしことばで書かれたものです。
こうした作品は、「読む」という点でいえば、やっぱり庶民には手の届かないものではあるでしょう。庶民にとって、文字を読むのは、やはり別の世界のできごとだったにちがいありません。その代わりに、彼らにあったのは、そうした白話小説を生み出すもとになった、講釈の世界だったのでしょう。文字の読めない人たちは、そうした講釈によって、耳で聞きながらいろいろな世界を体験することになるのです。それは、三国志の世界であったり、水滸伝の世界であるような、英雄豪傑のすがたであったり、今古奇観の諸作品に描かれる、商人や科挙の試験を受けようとする人たちの生き方でもあるのです。才子佳人が結ばれるはなしにしても、冤罪をすすがれる話にしても、子どもたちが科挙に合格して家名をあげてくれる話にしても、いずれも、現実の世界と、つながっていそうでつながりをそうは簡単にもてない、そうした微妙な世界を描いているように思えます。それは社会の変革にはつながるとはいえないし、のちに魯迅が嘆く、中国民衆の姿に通じるものはあるのですが、それでも、こうした作品は、怪異をよく描く、文言の作品よりは、後味がよいように思えます。