言わなかったこと

『民主文学』6月号には、手塚英孝賞の発表があって、北村隆志さんの宮本百合子についての文章が選ばれています。
以前、ここでも紹介しましたが、浅尾大輔さんたちが文学フリマに出店したときに販売した雑誌、『クラルテ』に掲載されていたものです。初出の雑誌には、いろいろと微妙な誤り(百合子の文章の初出誌についての、先行論文の誤りをそのまま引きついだもの)とかがあったので、選考の際には、そこを若干修正してもらうという事で掲載になっているので、『クラルテ』誌とは少しちがっているところがあります。
北村さんのものを読んでいて、もう少し追求してほしかったところがあります。それは、「播州平野」の広島の記述のところです。「播州平野」のなかで、夫の郷里に向かう主人公が、夜明けの広島を通ります。そこで、描写は極度に抑えられています。実は、そこにかみついたのが平林たい子なのです。平林は、『宮本百合子』(いまは講談社文芸文庫で読めます。初出は1972年です)のなかで、広島の描写が簡単なことについて、こう書いているのです。

占領軍を「解放軍と規定する」とまでほめたたえた血迷った当時の共産党の直接か、間接かの意思表示によって、原爆のすがたは完全に灰色のあいまいな幕で遮蔽されてしまった。(文芸文庫262ページ)

平林も、そのあとで、占領軍の検閲に関して若干ふれてはいますが、「播州平野」が検閲を顧慮したことは、どう考えても間違いないことでしょう。中野重治の「五勺の酒」も、検閲で内容がゆがめられた形で知られてきたということが判明したのも、平林の死んだ後のことですから、「播州平野」に関して、検閲がどのようにおこなわれたかの検証は実際にはむずかしいでしょう。検閲にかからないように表現したことは、原稿をみても断定はできないわけですから。
ただ、当時の作家が検閲を気にしていたことは、徳永直の『静かなる山々』で、占領下の第一部と、講和条約発効のあとの第二部とで、アメリカへの書き方が明らかに異なっていることからも推測はできます。
播州平野」のなかの広島の描写は、そうした観点からみられるべきで、平林の見方は偏見に満ちていることはそうなのですが、そうしたことを踏まえて、北村さんも「播州平野」について述べてほしかったというのが、率直なところです。