生き残ったは

獅子文六『海軍』(中公文庫、2001年、底本は1968年、初出は1942年)です。
真珠湾攻撃のときの特殊潜航艇の乗組員を主人公にして、彼の少年時代から海軍にはいって、戦いに赴くまでのできごとを書いています。
小説のできばえは、たしかに上手なものといってよいでしょう。少年が自分の進路を考え、海軍を志願していくプロセスも、1919年生まれの主人公の成育歴を考えれば、決して無理なものではありません。その点は、戦時中の作品といえども、無茶な誇張はしていません。
ただ、このレベルでも、主人公の友人で、一緒に海軍兵学校を受験して、身体的な要因ではねられ、結局海軍省嘱託の画家となる男がいるのですが、彼が真珠湾攻撃の報道機関に発表するための「絵」を依頼される場面があります。これは、写真をもとに描いたのではなく、推測によって絵を仕上げていくのです。「絵」が事実に基づかないということを、間接的に書いているような感じもします。
蟹工船」の海軍は、日本人に銃を向けます。そうした側面は、当然戦時中のこの作品にはあらわれません。また、実際の特殊潜航艇の攻撃で、戦死して「軍神」とまつりあげられたのは『9人』です。二人乗りの船が5隻出撃して、なぜ9人なのかということも、作者は追究できていません。そうした、「書かれない」部分があることをよく知った上で、読んでいかないと、当時のひとたちがこの作品を読んで受けたであろう「感動」の質の分析もできないのでしょう。

ところで、新潮文庫にこの作品が収録されていたときは、作者名は本名の「岩田豊雄」でした。初出も、初刊本も岩田名義だったそうです。なぜ中央公論社は、今回「獅子文六」の名前にしたのでしょう。