ていねいにみる

フランスのサルコジさんが、中国当局に対話を促すメッセージを発信したというニュースをテレビでみていたのですが、「中国とチベット」という字幕が出ていました。
サルコジさんが、直訳したときにそういうふうになる発言だったのかはよくわからないので、憶測の混じった表現になるのですが、この表現が正しいとしたら、20世紀の国境線はもう尊重するに値しないものなのかということになりはしまいか。「日本と琉球」とか、「ヤマトとアイヌ」というのと同値になる表現ですよね。フランスのおとなりのベルギーは、たしかオランダ語とフランス語との綱引きがあって、もめていると思いましたが、そのへんとか考えるとどうでしょうね。
次に、サルコジさんの発言を、日本のマスコミが「誤訳」した可能性もなくはありません。じつは、その字幕をみてふっと思ったのは、堀田善衛の「広場の孤独」なのです。作品の最初のほうに、外電を訳すときに、「タスク・フォース」という英語を、「機動部隊」と訳したときに、〈敵〉という表現が外信部長(だったかな)から出てきたのを、主人公が聞きとがめるというシーンがあります。そうした、先入観にもとづいた「誤訳」の可能性もあります。
サルコジさん自身の問題としては、オリンピックの開会式うんぬんのことですが、2002年のソルトレークシティのオリンピックは、「アフガン戦争」を主体的に遂行していた国で行われました。このとき、ボイコットのような行動をとったところはあったでしょうか。冬のオリンピックはちがうとか、「アフガン戦争」は「テロとの戦い」だったから国際正義だったとかという言い逃れをするのでしょうか。
朝鮮戦争のときのオリンピックは、オスロヘルシンキベトナム戦争のときは、グルノーブルメキシコシティ・札幌・ミュンヘンと、いずれも直接ではないですよね。