展開

高階秀爾さんの『ピカソ 剽窃の論理』(美術公論社、1983年)です。
ピカソの絵には、そのモチーフとなった先人の絵があり、それを発想の軸としながら、独自の世界を築いているというのが、著者の発見です。
たかしに、朝鮮戦争のときに描かれた、「朝鮮の虐殺」という絵は、一目見ただけで、ゴヤの銃殺を描いた作品との共通性を感じさせます。もちろん、著者の言う「剽窃」は盗作ではありません。あくまでも、構図とかを発想の軸にしながらも、単なる写実の絵画ではない、ピカソの想念の世界をふくらませているのです。
いつぞや、日本でも、「盗作」騒動があって、そのときオマージュだかなんだかという横文字が語られましたが、そうしたものとは、あきらかにちがいます。
人間の考えることは、いろいろと似るのは当然のことでしょう。そうした普遍的なもののなかから、どのように独自のものをつくりだすかが、創造のポイントなのでしょう。そこがわからないと、ピカソ自身もまきこまれた、スターリンの肖像をめぐるゴタゴタのような喜劇もおきてしまいます。
文芸評論も同じことで、いろいろと先人の業績から学んで、思考しているわけですが、それを通して、自分の声をつくっていかなければいけないのでしょう。鴎外の「妄想」だと思いましたが、いろいろな人の権威によって批判をしていったということを、なかば自嘲的に言っていましたが、たしかに、鴎外の評論的な文章で、初期のものは実際はおもしろくありません。そこが、考えどころなのでしょう。