痛烈

中西伊之助(1887-1958)の、『農夫喜兵衛の死』(つむぎ出版、初刊は1923年)です。
作者の生誕120年を記念して出されたもので、郷里の宇治の人たちが出版のために労をとったのだというのです。出版社はコードから考えると、かつて「機関紙出版センター」といったところの後身のようです。
この作品は、日露戦争の時代を背景に、宇治のちかくの農村を舞台に、ある一家の離散の姿を描いています。喜兵衛は小作農で、地主に借金もしています。そのために、娘を伏見中書島遊郭(たしか西口克己の『廓』はここが舞台だったのではないでしょうか)に売らざるを得なくなるのです。上の息子は兵隊にとられて、二番目の息子(彼が実質的な主人公でしょうか、作者自身の面影もあるようです)は火薬工場ではたらくようになるのですが家を出て自活する、一番下の幼い男の子は、沼に落ちて死んでしまう。そして、喜兵衛自身も、兵隊にとられた息子が日露戦争で戦死したという報をきき、旅順陥落のお祝いに戦死者の遺族が招待される場に姿を現さず、水に落ちた無残な姿で発見されるのです。
戦勝にわく人びとと、子どもを戦死させた主人公の姿とが、対比的に描かれています。ほかにも、みじめな姿で村にくらす遺族もいて、村のお寺の住職は、祝勝会の席上で、公然と戦死者の遺族に満足な補償もしない国の施策を批判するのです。
1920年代という、日露戦争を距離をおいてみることができる時代になったからこそ、戦争の意味を問い直すことができたのでしょう。ほとんどの登場人物は、こうした当時の社会のしくみそのものへは疑いをもちません。そういう、『明治』の時代の、底に流れていたものへの目配りも利いています。