ひとつの時代

堺田鶴子さんの『百日紅』(「ひゃくじつこう」と読んでください)(光陽出版社)です。
著者は1938年生まれで、商業高校を出てから損保会社に就職し、子どもを三人育てながらも定年まではたらいた方です。文学への志は若いころから持っていたようで、この作品集に収録された最初の作品は、1965年にリアリズム研究会の雑誌『現実と文学』に掲載された、保育所に子どもを預けたいのだが、役所の対応に驚くという作品なのです。そのあと、子育てなどの時期にはブランクがあったようですが、ここ数年、再び書きはじめているのです。
作品は、著者の人生のおりおりで経験したことを素材としているようです。高卒で就職して、すぐに競争のなかにさらされる女性たちや、長く子どもを育てながらはたらく女性のもつ苦しさを描く作品が多いのです。
そこには、戦後の、学校を卒業して、(その期間はともかくも)正社員としてはたらくのが当然のこととして社会的に認められていた時代の中での、女性が働き続けることの意味が描かれます。表題作は直接的には戦死した叔父のことを思い出とともにさぐっていく作品ですが、タイトルの「百日紅」の花が、次の世代を用意しながら咲き続けるところに、人間の営みを重ね合わせていくことで、世代の継承や、その中での生活のありかたも考えさせられます。
しかし、そうした時代も変化のきざしが見えます。「封筒書き」という作品では、彼女が勤務していた会社が、別の会社と合併するのをきっかけに、労働組合が上部団体から脱退して変質していこうとしているのです。労働者の身分をまもる組合が変わっていくことは、雇用形態が変わっていく時代を先取りしているのかもしれません。その時代を描くのは、別の人に託されているのです。