表現様式

村山知義『戯曲 ベートーヴェンミケランジェロ』(新日本出版社、1995年)です。著者晩年の二つの戯曲を収録したもので、「ベートーヴェン」のほうは東京芸術座によって上演された(1976年)のですが、「ミケランジェロ」のほうはまだ上演されていないようです。
もちろんそこには、音楽で自分を表現したベートーヴェンと、彫刻や絵画で表現したミケランジェロとのちがいが、その生涯を演劇にした場合の演出の難易の問題になることにはちがいありません。
ただ、いずれも、芸術家として生きるためにかれらが担わざるを得なかった当時の「上流階級」との接触や、それがいろいろな形で芸術をゆがめていくさまを描こうとした、著者の意識から生まれた作品なのです。
直接の生産にたずさわらない仕事というのは、その属する社会のありかたに規定されます。藤原定家がいくらすぐれた古典学者であり、和歌の詠み手であり、批評家であったとしても、彼は極端な言い方をすれば荘園のあがりで食べている貴族階級の末席の存在なのです。芸術家の業績を、何でたべていたかというだけの観点からみることは、必ずしもその芸術家の評価にはならないのです。芸術で食べていくことにも、まったくの制約がないとは、いまの社会でもいえないでしょう。そういうことも、考えさせられます。