愛憎

藤田廣登さんの『時代の証言者 伊藤千代子』(学習の友社、2005年)です。
伊藤千代子(1905-1929)は、長野県諏訪の出身で、女学校時代は平林たい子と同年だったそうです。卒業後、紆余曲折はあったものの東京女子大に入学し、そこで後に野呂栄太郎の妻になる塩沢富美子や志賀義雄の妻になる渡辺多恵子たちとともに社会科学の研究会を組織して、社会変革の道に歩み出ます。その中で、同じ道を進んでいた浅野晃と結婚します。
ところが、ふたりとも弾圧で獄中に捕らえられている間に、浅野は社会変革の立場から脱落します。千代子はそのこともあって精神に変調をきたし、精神病院にはいり、そこで死を迎えるのです。
浅野はのちに、保田與重郎たちとともに『日本浪曼派』の中心人物として活躍しますが、千代子の手紙などを保管していて、浅野の没後、苫小牧の図書館に遺品が寄贈されたということです。
その中のエピソードとして、浅野自身がのちに研究者に語ったそうですが、1928年2月の総選挙を前にして、北海道で立候補する予定だった山本懸蔵の選挙資金が足りなかったので、ちょうど千代子の故郷から送ってきた金を、そのために用立てたというのです。その結果、千代子は女子大の卒業が不可能になり、「中退」という扱いになったというのです。
ちょっと考えてしまうエピソードではありますが、そのことを浅野が、思想的に当時と変わってしまってもずっと記憶していて、そのことを回想として話をしたことも、考えてみると不思議なものかもしれません。
浅野にしてみれば、千代子を死なせてしまった(彼の思想に千代子を追随させられなかった)ことを、かれなりに逆の意味でひきずっていたのかもしれません。そうした男女の複雑さも、考えなければならないのでしょう。