妄動はできない(ネタバレあり)

西野喜一さんの『裁判員制度の正体』(講談社現代新書)です。
西野さんは判事から法学の研究の世界に移ったかたで、裁判員制度を批判する立場からこの本を書いています。
人を裁くことのむずかしさを、専門的な訓練もないままにやることができるのかという視点が、西野さんの根本にあるようです。

これは小説の話になりますが、吉田修一の『悪人』(朝日新聞社)という作品があります。これは、保険の外交員の若い女性が殺されてしまう事件が描かれているのですが、彼女は、たまたま合コンをしたBさんと、メールのやりとりだけをしているのですが、周囲にはBさんとつきあっているようなふりをしています。一方、別の経緯で知り合ったCさんとも、何回か会っているのですが、ある日、Cさんと会う約束をして、会いに行きます。そのとき、周囲の人は、彼女はBさんと会うのだろうと思っています。
ところが、時間に遅れてCさんの待っているところに行くと、そこにBさんがいたのです。彼女は、ふらっとBさんの誘いに乗って、Cさんに断りを言ってBさんの車に乗ります。Cさんは怒って、その車のあとをつけます。Bさんはもともと彼女とでかけるつもりはなかったので、彼女を山奥の人気のないところにつれていって、彼女をそこで車から追い出します。
Cさんがそこに追いついたとき、彼女といろいろあって、結局彼女はCさんの手にかかって死んでしまうのです。

さて、この場合、Bさんには責任はないのでしょうか。作品ではBさんのほうが最初に容疑者としてつかまってから釈放されるという段取りになっているのですが、逆にCさんのほうが先に事情を聴取されていたら、どうなるか。
また、Cさんには、どんな罰を与えるのが妥当だというのか。

それこそ、裁判員制度ができたなら、それを抽選で選ばれた人が裁くことになるのです。さて、いかがなものでしょう。