強い違和感

たまたま夕方、NHKの国際情報の番組をみていたら、韓国の大統領選挙の展望をやっていました。すると、野党の有力候補として、朴槿恵(韓国語よみは覚えていないのですが)という女性の方がいるというのです。彼女は、朴正煕元大統領の娘だというのです。
そのとき、番組では(メモをとってないので正確ではありませんが)「経済発展の基礎を築いた」元大統領で、「志なかばで倒れた」父の遺志をつぐというような形で、朴候補を紹介していました。
それでいいのか、というのが、そのときの印象です。たとえば、李恢成の『見果てぬ夢』(講談社、1976年から)には、「自生的社会主義」をめざす秘密グループの朴采浩と趙南植とが、最終的にはKCIAに捕らえられて、拷問をうけて結局は犯罪者とされるストーリーが展開されます。単行本には大江健三郎さんや小田実さんが文章を寄せていたりするのですが、それは、小説に描かれた現実にたちむかう作家の態度を評価するものになっています。
ほかにも、金芝河の作品とか、「T.K生」という形で書かれた池明観の『韓国からの通信』(岩波新書、1975年から)とか、そうした朴政権の実態を告発したものを思い出すと、元大統領の娘が候補者になるということは、ある意味大変なことなのかもしれません。
でも、与党側の候補を紹介するときに、1980年の光州事件を題材にした映画が韓国で制作され、それをある候補者が観にいったという場面も映像で流れ、その映画の中の、軍隊が民衆に発砲する場面がそこに映し出されていたのは、バランス感覚がはたらいたのかもしれません。光州事件といえば、やはり李恢成の『青春と祖国』(筑摩書房、1981年)という、1980年に彼が法政大学で行った連続講座を本にしたものが、ちょうどその時期で、当時の「民主化」への期待が裏切られていく姿を同時進行であらわしていて、暗然とした気持ちになったことを思い出します。
結局は韓国国民の選択なのですが、どうなるのでしょうか。
李さんは、その後韓国国籍を取得して、金石範さんと論争しましたが、それはこことは別のこととしておきましょう。