北の果て

八木義徳摩周湖・海豹』(旺文社文庫、1975年)です。
戦時中の芥川賞が、植民地や戦争とかかわった作品をけっこう受賞させていることは、荒俣宏さんの『決戦下のユートピア』(文藝春秋、1996年)でも言及されていたような記憶がありますが、八木さんの芥川賞受賞作「劉広福」も、作者の「満洲」での化学工場勤務時代の経験をもとにして書いたものです。文庫本の巻頭にある「海豹」(あざらしではなく、かいひょうと音読みするようです)も、主人公が樺太旅行をしているときに、旅費がなくなって現地の缶詰工場で働くという設定になっています。
作者にとって、こうした植民地での体験が重要なのは、「私のソーニャ」でも、その女性が外地からの引き揚げ者だったことも関係するわけで、そうしたことも忘れてはいけないのでしょう。
しかし、「胡沙の花」という作品で、主人公の妻が精神に変調をきたす場面があるように、しょせん「満洲」は日本ではなく、そこには収奪の構造が基本にあることを感じさせるところは注意しなければならないのでしょう。

最近、「満洲」は中国本土とはちがうという論理を言い出す人がいる(確か西牟田靖チベットを引き合いに出していた)ようですが、八木さんの作品でいう「満人」というのは、中国語を日常話す人であって、いわゆる言語学の立場でいう「満州語」を話す人ではないのだということを、きちんと見なくてはいけません。中国ではないのだという政治的な思惑から、意図的に「満人」というくくりを、当時の当局はしたのです。