それにしても

中村智子さんの、宮本百合子の経歴についての疑問のことに関して。
もともとのおこりは、前の記事に追記したように、百合子の「自筆年譜」に1931年に共産党に入党したという記述が、最初はなかったことからきているのです。
1948年だかに、臼井吉見編というかたちで、『宮本百合子研究』という本が出ています。当時現役の作家に、そうした論考集が出ること自体がたいしたものだと思うのですが、その巻末につけられた年譜に、戦後のところに「入党した」という記述があったのです。これは、1990年に日本図書センターから、写真にとって復刻したものが刊行されているので、だれでもその状況は見られます。それに対して、没後全集が岩崎書店から刊行されたときに、この年譜を収録した巻の解説で、宮本顕治さんが、『追記』に引用したように、この年譜では1931年入党がかかれていないと指摘したのです。その後、年譜自体に、百合子が自筆で1931年の項目に「党の組織と結合した」と書き込んであることがわかり、(この写真版は、新日本出版社の『百合子輝いて』(1999年)に収録されています)その後はこの補記にしたがって追加されて活字化されていたのです。
中村さんは、そこに疑問をもって、問題提起をしたようです。中村さんの『宮本百合子』(筑摩書房)では、1973年の初版ではそこが疑問として提示されていたようです。1981年に重版したときに、注記やあとがきの形で、中野重治との論争のことを付加したり、年譜の書き込みが自筆であることを追加したりしていますが、本の全体の構成を変えるわけにはいかなかったようで、全体としては1931年入党を否定するトーンのままになっています。中野重治の文章は、「緊急順不同」のなかにはいっていて、全集だと第24巻にあります。
本棚の奥にはいっていて、直接の引用がすぐにできないので、概説ですが、こういう経過があるのですね。中村さんは、その後『百合子めぐり』(未来社、1998年)という本を出していますが、その中ではどうなっていたか、いま調べがつけられないので、それはまた後日のことにしましょう。