守るべきもの

高田衛さんの『滝沢馬琴』(ミネルヴァ書房、2006年)です。
実は今年は、『椿説弓張月』の前編刊行からちょうど200年という節目の年にあたっています。高田さんの本は、馬琴の生涯を追いながら、彼が『八犬伝』をはじめとする作品のなかで描こうとしたものの意味について考えています。そこに見えてくるのは、「家」を守ろうとした馬琴の苦闘の姿なのです。
18世紀から19世紀にかけての日本は、秩序の定まった身分社会です。その『身分』というのは、特定の職務を遂行するための「家」の存続が前提になっています。それは血筋とは必ずしも関係ありません。もちろん、将軍家とか大名クラスになると、血筋が大事なのですが、馬琴の滝沢家クラスでは、婿養子だろうが、それ以外の養子だろうが、ともかくも職務つきの「家」の存続が、至上の命題になっていたような感じで受け止めることができます。
馬琴は兄ふたりを失い、子どもにも先立たれ、孫に「家」再興の願いをかけて、武士の株を買います。そのために、貴重な自分で書写した蔵書を売ったり、「書画会」なる即売会を催したり、家(家屋)を売ったりして、ようやくその金を工面するのです。この孫に賭ける馬琴の姿を、犬江親兵衛と花咲の翁との関係に見た花田清輝の着眼が、あらためて印象づけられます。(花田は戦時中に、八犬伝の対管領戦争が〈十二月八日〉に始まったことを引き合いに出して、時勢をからかったことがあります)
しかし、その孫も、馬琴の没後その翌年(1849年)に世を去ります。
当時の人びとの生活環境の苛烈さというものを考えずにはいられません。「家」を守るための必死の努力も、生きること自身の厳しさを乗り越えることができなければむなしくなってしまうのです。江戸時代の文化や生活が、けっこう合理的であったことは、最近よく語られているようですが、それも平和に健康に生きられる社会あってのことでしょう。200年後の今、そういう社会をつくろうとは思っていない人たちが、けっこう世の中で幅をきかせているようで、それでいいのかとも思います。