芸者ふたたび

以前、ここで佐多稲子の手紙を紹介したときに、金子光晴との間のやりとりを書いたことがありました。壺井栄の通夜のときに、金子が「芸者みたい」と佐多のことを評した言葉に、佐多が激怒して手紙を書いたというのです。
『民主文学』3月号に、土井大助さんが連載しているエッセイのなかで、壺井栄の死去のときのことが書かれています。土井さんは、当時『赤旗』勤務で、詩人会議でも壺井繁治さんとともに運営委員をつとめていたということもあって、お葬式の手伝いをされたそうです。
土井さんの記述によると、「栄夫人は夫と違い共産党員ではない。中野重治夫妻や佐多稲子女史といった人達と昵懇だったから、壺井さんは随分気を使っていた。通夜も二手に時間を分けて取り運ばれた」のだそうです。
金子光晴はそれに気づいていたのかどうか。そういうことも含めて考えると、金子の「芸者」発言は、当時の佐多稲子が、政治党派の「看板」であったことの評価としてわりあい当たっている表現だったかもしれないと思います。
もちろん、「婦人民主クラブ」のトップであった佐多は、自分の信念で動いていたわけですから、金子発言に怒るのも当然ですけれど。