最初からの不可能

やっと、『佳人之奇遇』を読み終わりました。日清戦争のあとに出版された、巻十一以降は、岩波の新日本古典文学大系明治編でも、注釈なしで二段組でぎっしりと組まれているので、なかなか読みづらかったのですが、作品は日清戦争での日本の対応を、主人公の東海散士が仲間たちと論じ合っているというところまで進み、最後には閔妃暗殺にかかわることが暗示されるという設定になっています。主人公がなぜか獄中にいて、暗殺の次第を聞くと、それが夢だったという流れなのです。
最初の頃の、主人公がアイルランド独立やら、スペインの反政府勢力やらと連帯するかのような、国際的な流れが、日本に戻ると、朝鮮半島をめぐる清国とのあらそいだの、ロシアの脅威にどう対応するかだの、きなくさいものになってしまうというのも、仕方のないことかもしれません。
そもそも、「佳人」がヨーロッパの人である限り、日本人たる東海散士と結ばれるわけがないので、(鴎外の『舞姫』みたいなものもありますし、何より散士は会津の人です。西洋の女性とむすばれるなどあり得ないでしょう)最初から設定が無理だったといえるのかもしれません。「政治小説」が、一部の青年に愛読されても、それがその後の日本文学に流れていかなかったのも、案外こうしたことも原因だったのかもしれません。