つながっていくこと

今月の文芸雑誌は、まだ全部は見ていないのですが、気がついたところをまず少し。
『群像』では竹西寛子さんが、「記憶の継承−歌枕と本歌取」という文章を書いています。外国向けの雑誌に英訳で発表されたものを少し訂正したもののようです。百人一首にみられる藤原定家の批評精神について書いています。定家という人は、古典の伝承について意識的だった人で、彼が筆写しなければ残らなかった『更級日記』のように、いくつもの作品を後世に伝える努力をしています。それも、定家の精神のあらわれなのでしょう。大学時代に、定家筆の古今集をテキストにして国語学の演習の授業がありましたが、そのとき、彼の字はとても読みやすいと感じたものです。そこにも、古典の伝承に賭けた定家の気持ちがあったのでしょう。そんなことを考えて竹西さんの文章を読みました。日本語がもつ歴史の重みは、いつも意識していなければならないのでしょう。たかが230年のアメリカ合州国というと語弊があるかもしれませんが、江戸幕府はその期間、大規模な戦争をしないですんだ(天草から長州までがそのくらいでしょう)ことも、大切なことです。

同じ『群像』の連載で、雨宮処凛さんのエッセイ、「プレカリアートの憂鬱」も、とりあえず、現在の若者の状況をルポしようとする意欲はみられます。ひきこもりやニートと呼ばれる若者たちの厳しい現状から、何が立ち上がってくるのかは、もう少し先を見てからにしたいとは思いますが、生存権を掲げた人たちをみる雨宮さんの視線は、大切です。

前にここで触れた、北村隆志さんや浅尾大輔さんが中心の、民主文学の代々木支部支部誌『クラルテ』のなかの、東喜啓さんの小説が、『文学界』の同人雑誌評のコーナーに紹介されています。今月は松本徹さん(この方の本もここで紹介したことがありましたが)の執筆です。創刊号なりのインパクトは、いろいろなところに与えているようですね。