飲んで飲まれて

内山完造さんの『中国人の生活風景』(東方書店、1979年)です。内山さんは1959年に亡くなったのですが、没後20年を記念して、「漫語」とみずから呼んでいたエッセイを編集したものです。内山さんは、上海で書店を経営し、晩年の魯迅とも親交が深かった方なので、中国の社会の実態をよく知っていて、そこからくる観察と分析をエッセイの形で残しています。
さて、その中で、日中の比較として、〈日本人は泥酔する〉というのがあげられています。中国人は宴会などでいくら飲んでもつぶれない、それに対して日本人は飲んだ後の醜態がすさまじいというのです。
中国での酒の飲み方というのは、飲んでも乱れないのがマナーだということは、この前講談社から出た〈中国の歴史〉のシリーズの最終巻で、上田信さんが書いていますが、その中で紹介された話として、「ある宴席で、日本人のようによく酔っている人物がいた。中国にもそういう人がいるのだと思っていたら、あとである中国側の人物が、『あいつはモンゴル族だから、酒の飲み方がなってない』とつぶやいた」というのがあります。
内山さんは、そうした漢族の酒の飲み方を、何千年もかけて淘汰されたからだと考えています。たしかに、日本人のような、アルコール分解酵素が少ない民族のほうが、世界的には珍しいのでしょう。それが、このところの、酒気帯び運転をめぐるいろいろな問題ともつながっているように思えます。
福岡のほうで、共産党の市会議員が、夜に家庭で飲酒したあと、翌朝の夜明け前3時ごろに新聞を配達員のところに届ける途中で検問にあって、酒気帯びと判定されたというのも、そうしたつながりのひとつでもあるのでしょう。その議員さんは辞職したそうです。