記憶してください

小森さんのつながりというわけでもないのですが、たまたま大江健三郎さんの『「伝える言葉」プラス』(朝日新聞社)を続けて読みました。小森さんは、大江さんの文章を取り上げながら、初期大江作品を分析していたものですが、そういうこと抜きにも、大江さんの最近の考え方がわかるような文集です。70歳をすぎた彼は、同じ年のエドワード・サイードの死に触発されたのか、自分の仕事のしめくくりを意識しているように思えます。渡辺一夫さんなどの、自分の先人の記憶をたどりながら、自分の仕事を次につなげるための手立てを考えているようにも見えます。(以前ここで、大江さんと平野啓一郎さんの対談について書いたことがありましたが、それもそうした意識がみえました)
中学の頃、夏休みの宿題で『ヒロシマ・ノート』を読まされて、難しくてそれからしばらく大江さんの書いたものを遠ざけていたのですが、そのころにくらべると、ずいぶんと書いたものもやさしくなっているように思えます。今の中学生は、たぶん『「自分の木」の下で』などを読むことで、大江健三郎に親しめるのかと思うと、時代の隔たりも感じてしまいます。(うちの娘はあまり気に入らなかったようですが)
ただ、これはいっておかなければいけないと思うのですが、大江さんは、中野重治佐多稲子への敬愛の念を常に表明しています。それに対して、小林多喜二宮本百合子に対しての発言はほとんどといっていいほどありません。記憶している限り、中野重治が1972年に講談社から出した、『小林多喜二宮本百合子』という本の解説を大江さんが書いていて、その中で、多少触れているというぐらいでしょうか。そのことのもっている意味は、考えておかなければいけないのだと思います。