文学者の責務

小森陽一さんの『ことばの力 平和の力』(かもがわ出版)です。
九条の会」の事務局として東奔西走している小森さんの、講演をベースにした、近代日本の文学者四人についての本です。
チョムスキーが、ベトナム戦争に反対していたころ、彼の専門の言語理論と、彼のやっている反戦活動とがどう関係しているのか、という問題意識から、田中克彦さんが『チョムスキー』(岩波書店)という本を書いたことがありましたが、小森さんのこの本は、自分が憲法を守るために活動していることと、自分の本来の分野である日本近代文学の研究とはどのように連関しているのかについて考えて、文学者の仕事と、日本国憲法が提起している問題について考察したものです。
『群像』にのせた大江論と、この本で書かれている大江論とでは、なぜ『群像』ではあんなに難しく書いたのだろうと思うほど、こちらはわかりやすくなっています。文学者が文学の世界で果たす役割というものを考えさせる本です。

ただし、気になるのが、誤植や単純なミスの類です。宮沢賢治小林多喜二とはたしか同じ年になくなったはずなのに、多喜二のほうが遅いようによめる記述があったりします。彼が以前出した、『天皇玉音放送』(五月書房)でも、〈亡くなった父親〉を指す〈先考〉ということばに、とんでもない誤った解釈がされていてびっくりしたことがありますが(今は訂正されているのでしょうか)、その手のミスに類するものがところどころあって、一瞬びっくりします。
最近は大丈夫なのでしょうが、そうしたうっかりミスが攻撃になったといえば、『続 悪魔の飽食』での写真誤用事件が思い出されます。あの事件から、下里正樹は何も学ばなかったのでしょうが、そうしたミスをくり返すわけにはいきません。いつ、ブログが炎上するかわからない時代ですから、注意はしなくてはいけないでしょう。