受け継ぐ記憶

どこかの新聞のコラムで、「おあむ物語」が紹介されていたので、久しぶりに、岩波文庫の『雑兵物語・おあむ物語』(1943年)を取り出してみました。
「雑兵物語」というのは、戦に出る雑兵たちの語りという体裁で、いわば戦いの「ハレ」の部分をしめしているのですが、「おあむ物語」は、関が原の合戦のとき、石田三成方について、美濃の大垣城に篭城していた少女が、家族とともに城を脱出する話です。少女はのちに土佐にいき、このときの経験を子どもたちにいつも語っていたというのです。それを子どもの頃に聞いた男性が、老境に達してからこんどはそれを次の世代に語り伝えていた(18世紀になっています)記録だというのです。また、さらにこの本には「おきく物語」が併載されています。これは、大坂落城のときの、城内の記録で、きくという女性の体験談です。両者とも、けっしていくさを美化してはいません。
「おあむ物語」と「おきく物語」とは、1837年にあわせて刊行されたものを、ここで岩波文庫にセットでおさめたということなのです。1943年という、日本の戦争が激しくなりつつある時期に刊行したということは、ある点では岩波書店の覚悟だったのかもしれません。
以前、藤木久志さんの「刀狩り」をとりあげたことがありましたが、江戸時代に一揆の人たちも鎮圧する側も、武器を使わなかったところに、戦国時代のいくさの悲惨な記憶が共有されていたからだということが書いてありました。
「おあむ」や「おきく」のような人たちが、関が原や大坂の記憶を語り伝え、それを筆写して保存し、書籍として刊行しようとする人たちが、ずっと存在していたということは、日本人の受け継ぐべき伝統の一環といえるのかもしれません。