論理と感情と

杉浦明平の『暗い夜の記念に』(風媒社、1997年)です。
この本は、杉浦の戦時戦後の文章を集めて、1950年に自費出版したものの再刊本で、著者のあとがき、いくつかの注釈と、玉井五一による解説をつけたものです。彼は、立原道造と大学時代に同人誌をやっていて、そうしたところから、立原が日本浪曼派に流れていく過程をつぶさにみていました。そうしたところから、杉浦は保田與重郎や芳賀檀たちをこの本の中で厳しく非難しています。
こういうものには、時代を経験した当事者として、とても痛切なものを感じます。一方で、時代を超えて、次の世代にこの「怒り」を共有していくための手立てはどこにあるのだろうかとも、考えさせるものです。前日分にも平野謙をめぐって書きましたが、『近代文学』に拠ったひとたちの小林多喜二論が、やはり論者の体験をベースにしたものであって、それが作り出したわくぐみが現在まで、肯定・否定にかかわらず影響を与えていることを考えると、今の状況のなかで、どのような形で文学をとらえていくのかについて、もっと考えることがありそうに思えます。
実際、保田を擁護する人は、「文学はイデオロギー(厳密に言えば、このイデオロギーは誤用ですよね)を超える」という趣旨のことをよく言いますが、(イタリアの人が書いた、『不敗の条件』(中央公論社、1995年)でも似たようなことがいわれていました)けれど、そういう人にかぎって、同じ論理で蔵原惟人を分析しようとは絶対に思わないわけで、そんな身勝手な論理が生きている日本の文学風土をなんとかしなくてはと、考えています。