沽券にかかわる

今ごろ文芸雑誌というのもなんですが、『新潮』11月号の佐川光晴「二月」のこと。
北海道の大学で学生運動をやっている主人公が、与那国島にサトウキビ収穫のバイトに出かけていく話。寮の自治会の運動で、主人公の仲間で委員長をやっていた男がみずから命を絶つ。そして、その後任になった民青系の人間は、当局と妥協してしまう。主人公は北海道から遠く離れた沖縄でそれを苦痛に感じるという話である。
こういう作品で「民青」というのは、オールマイティの悪役になれる貴重な存在であるのはいうまでもないことで、ほかのセクト(この作品の主人公たちは〈ノン・セクト〉と自称しているが)にすると、たぶんどこからか苦情が出るのだろうとは思うけれど、なんでまた佐川がいまこの作品を書こうとしたのかが、よくわからない。
ひょっとしたら、『赤旗』の8月の文芸時評で、『群像』にのせた「子どもにつづけ」が評価され、顔写真まで載ったことへの逆のこだわりではないかとも思ってしまう。〈日共・民青なんかに評価されはしたが、自分は連中とは関係ないんだぞ〉とでも言いたいかのような、そんな感じがする。それほどまでに、この作品での作者の「民青系」への悪意は、あからさまに出ているのである。