平和を維持する

藤木久志さんの『刀狩り』(岩波新書、2005年)です。
秀吉の刀狩りの実態を研究して、江戸時代の農村にどの程度の〈武器〉があったかを実証しています。すると、秀吉によって農民が武装解除されたというのは後世の思い込みであって、実際にはたくさんの鉄砲をはじめとした武器があったというのです。
しかし、大切なのはそこからで、その武器を人間に対しては使わないという合意が、農民の側にも、仮に一揆をおこしたときの相手方の武士の側にも、当時は存在していたというのです。それは、戦国時代のいくさの実態が、村への略奪暴行を伴うものであったことからの厳しい反省があったというのです。

そういう、過去から学ぶ姿勢が、はたして今の政治家の人たちの中にどれほど生きているのだろうかとも思いたくなります。「青年多喜二祭」というところに行ってきたのですが、その中で、〈お宝映像〉というわけでもないのですが、1995年に放送された民放の、小林多喜二をふりかえる番組の映像を見ました。弟の小林三吾さんも、松田解子さんも証言者として登場するものだったのですが、その番組は、戦後50年を機に、戦争の時代に流れる中で多喜二の虐殺が起ったという位置づけになっていました。そうした認識は、いつでも持っていなければいけないのでしょう。