感受性とは

未来社からの〈書物復権〉企画の、『現代日本文学論争史』を読み始めています。論文の集積の本なので、統一したテーマがあるわけでもないし、全3冊という厚さなので、紹介はしづらいのですが、最初のほうの、有島武郎広津和郎との、「宣言一つ」をめぐってのやりとりのなかで、こんな記述を発見しました。広津の文章の中です。
「人間の物の感じ方と云うものは、もう少し自由に出来ているものだと、僕は思いますね。文学の歴史を見たって、それは解るじゃありませんか。時代を異にし、国を異にし風俗を異にしても、我々の心の感受性は古今東西、貴族平民のいずれを問わず、種々さまざまな文学の中に、這入って行く事が出来るじゃありませんか」
この前、マルクスの意見についてコメントしましたが、広津も、彼なりの表現で、マルクスと似たようなことを考えているようですね。その作品が、その時代や国や風俗やそれこそ階級を背負っているからこそ、人間の感受性は、それをすぐれた作品として受け止めることができるのだと思います。