丁種不合格

先日の記事は少し単純に言い過ぎてはいると思います。エンゲルスの手紙についてはもう少しお待ちください。

前回からの引き続きで、やはり〈日本近代詩人選〉のシリーズから、宇佐美斉さんの『立原道造』(1982年)を読みました。あわせて、中村真一郎さんの『芥川・堀・立原の文学と生』(新潮選書、1980年)の立原の部分もあわせてです。
立原は徴兵検査が丁種不合格だったそうです。病弱であったということもあるのでしょうが、肉体的にも相当病気以前に弱い面があったようです。宇佐美さんの本では、その体が、肉体的な愛情を育むことを不可能にして、それが立原を精神的な面へと(幻想的な恋愛のような)導いていったのではないかというのです。立原が日本浪曼派に流れていったのも、そうした方向の延長上にあるということらしいです。

徴兵検査のもつ、社会的な位置づけについては、昔喜多村理子さんの本(『徴兵・戦争と民衆』吉川弘文館、1999年)を読んだことがあるのですが、戦争に行きたいわけではないけれど検査で甲種合格にならないのは恥ずかしい、というような感情が、とくに農村部の青年の中には広がっていったのだということを論証していました。そうした「恥」に近い感覚が立原にあって、それが浪曼派に行くことにもつながったのかもしれませんね。日本社会の「横並び」感覚は、こういうときには悪いほうに流れていくのでしょう。