私怨だとまでは言いたくないが

粟屋憲太郎さんの『東京裁判への道』上下(講談社選書メチエ)です。
アメリカのほうにあったという、東京裁判開始前の、いろいろな容疑者の尋問記録などを調査して、誰が被告となり、誰が訴追を免れていったのかを検討したものです。BC兵器の問題がなぜ回避されたかなどという、今日的課題も多いのですが、当然気になるのは「おじいさん」のことです。そう、開戦の詔書連署した、商工大臣のかたですよね。彼は、BC級では裁けないということで、被告になることはなかったのですが、木戸幸一さんの調書では、彼は東條をどたんばで見限って、東條追い落としにかかわったとかいう話もありますし、彼の戦時中の責任としては、中国や朝鮮の人たちを強制的に動員して働かせたことへの責任が、訴追の可能性があったことだというのです。(下巻67ページ)
いま、「おじいさん」のお孫さんが注目を浴びていますが、彼が今までの国のあり方を変えたいと強硬に主張しているのは、きっと「おじいさん」が、彼が生まれる前になぜかスガモに収監されていたということも原因のひとつではなかったかと思うのです。あの「おじいさん」がそんなひどい人とは思えないのにそうしたことを許した体制を変えなければならないと、彼が思っているなら、今の彼の主張も拠って来るところはあるのでしょう。そんな私怨で国のありかたを変えられてはたまらないのですが。
そう思うと、今のある種の人たちのなかには、「敗戦」は「次は勝とう」という意識を呼び起こす材料になっているのかもしれません。
これに関しては異論もあるとは思いますが、「終戦」ということばには、〈もういくさはしないのだ〉という、戦争自体を否定する発想もこめられているような気がします。「終戦」ということばを嫌がる人もいるとは思いますが、このことばが定着した背景には、〈今後日本は戦争をしない〉という意識があると信じたいのです。だから、できるだけ「終戦」を使って、「敗戦」ということばは遠慮したいのです。