あえて伝えようとして

田口ランディ被爆のマリア』(文藝春秋)です。
せっかく広島にいくのだからと思って、行きの新幹線の中で読んでいたのですが、今の時代に戦争というものを、若い世代の立場に立って書こうとしたものです。主人公は、結婚式をあげる女性だったり、学校行事で被爆体験を聞きにきた中学生だったり、被爆のことを書こうとする30歳の女性作家だったり、という形で、戦争をまったく実感できない(ベトナム戦争が完全に終わったのが30年も前ですからね)人たちを通して、戦争の実態を見ようとしています。
それには意見もあるでしょうが、そうした、簡単に伝わるとは言いがたいというのが、作者の立場なのでしょう。
実際、大会に集った若者たちをみていると、伝わることの持つ意味については、これからが本当の継承になるのだと、あらためて思います。持続して、世の中を見渡していけるようになるのかが、問われるのです。
帰りは夜行列車。もう広島から東京に行く夜行は1往復しかありません。翌日の朝6時の新幹線に乗れば、夜行とほぼ同じ時間に東京駅につけるのでは、そうなるのもしかたないのかもしれませんが。
たしか、窪田精さんの『工場のなかの橋』のなかで,自動車工場のなかの民青の班の名称を、寝台列車の名前をつけて呼んでいたという設定がありましたが、今は無理ですね。そうすると班がひとつしかできなくなる。