恐怖の大王が降ってくる

ノストラダムスルネサンス』(岩波書店、2000年)です。
たしか、中学の頃に、小松左京の『日本沈没』とともに、ノストラダムスの例の「1999年7の月」の予言が話題になったと思いますが、そのノストラダムスを、当時の時代背景などにきちんと目を向けた、啓蒙的な研究書です。
渡辺一夫の『フランス・ルネサンスの人々』(今は岩波文庫で読めます)にもノストラダムスのことが載っていて、そこは彼の生涯が簡潔にまとめられていて、高校時代に読んだときに、なるほどと思った記憶があります。当時ラブレーを渡辺訳で読んでいたので、その関連もあって読んだのですが、そうした記憶も現れてきました。
さて、今回の本ですが、少し考えたのが、キリスト教の中にある、〈リセット〉的な終末観の存在です。黙示録というのは、最後の審判のような感じで、一回そこで神と魔とが対決して(ハルマゲドンというのは、天王山と同じように、最終決戦の場所だそうですが)その結果新しい社会が登場するというらしいのです。
そういうところから、ノストラダムスの詩が「予言」として受け止められる素地ができたというのです。
そういう考えが、ひょっとすると、いま「テロとの戦い」とわめいている国の中にあるのかもしれません。そうした終末観を抱くのは勝手なのかもしれませんが、それを世界中にばらまいていいのかとも思うのです。