作家と風土

この前、研究会で、上林暁の「白い屋形船」をやりました。久しぶりに上林を読んだ(といっても対象作の「白い屋形船」だけですが)のですが、作家と風土との関係を少し考えました。
というのは、上林の文庫を何冊か買ってはいたのですが、実は全部売ってしまって、今回は図書館で借りたのです。別に戦後私小説を嫌っているわけではないのは、尾崎一雄のものはたくさん持っているし、戦前の私小説も、葛西善蔵もあるのですから、そういうことではないようです。
とすると、作家をうんだ風土への親近感の問題なのかもしれないとも考えたくなります。というのは、つらつら考えてみると、高知県は、北海道と行ったことのない沖縄県を除くと、いちばんかかわりが薄い都府県なのです。宿泊したこともなく、入浴したこともなく、酒を飲んだこともなく、街歩きをしたこともない、単なる通過地としてだけ、高知県とかかわってきたことに気づいたのです。(佐伯から船に乗って宿毛に上陸して、すぐに高松まで直通したことと、宇和島から汽車に乗って窪川を経て阿波池田に向かったことと、坂出から宿毛まで直通に乗って、すぐにバスで宇和島に出たことでした)それが、作家の理解につながるのかという単純なことではないですが、(それなら外国文学はどうするのかと反問されそうですね)そういうこともあるのかもしれません。