軽口の批評性

日本近代文学館編集の、〈作家の手紙〉シリーズが博文館新社から出ているのですが、その中の佐多稲子の巻を読みました。
稲子の手紙や、稲子宛の手紙が多く収録されているのですが、いろいろと参考になるものもありました。
その中で、おもしろかったのが、金子光晴とのやりとりです。
1967年7月1日付の稲子の手紙ですが、壺井栄の通夜のときに、金子が稲子に対して、「君はこの頃芸者みたいだ」といったことを、稲子はとがめます。「理由なく侮辱を受けたというおもいになりますのをどうしても消すことができずにおります」と稲子は書くのです。
それに対して、金子は、3日付の返信でこう書きます。「あなたが御元気で若々しくおもはれたのでおもはず『女優さんのようですネ』と思うがま〃に口走りました」というのです。総入歯だったのでと言いわけをするのですが、果たしてどうか。
というのも、1967年という段階で、佐多稲子のやっていることを考えれば、この『芸者』ということばにはそんなに軽く考えられない批評性がこめられていてもおかしくはないかもしれません。1964年の、部分核停条約の評価をめぐって、佐多稲子が当時所属していた政党の政策に、公然と反旗を翻して、その党の組織原則を逸脱することを確信して、反対行動をとったことは、当時の人から見れば周知の事実のはずです。そうして、ジャーナリズムの話題になった稲子の評価として、この軽口は、まったくの的外れとはいえなかったのではないでしょうか。
稲子ファンの人にも、金子ファンの人にも、あまりいい話題ではなかったかもしれませんが。