そういう思考回路なのか

林さんの話題をもうひとつ。
『昭和イデオロギー』に触発されて、ひさしぶりに戸坂潤を読もうと思って、平凡社東洋文庫のシリーズから出ている、『思想と風俗』を読みました。親本は1936年に出たそうですが、内容的には70年たっても古びない。というよりも、今が70年前に似ているのかもしれません。
これにも、林さんが解説を書いているのですが、その中で、唯物論研究会をめぐって、次のような記述がありました。

唯物論研究会の創立が弱体化したプロレタリア科学研究所の代替組織として当初発案されたもので、プロ科の残存メンバーの岡、戸坂、服部らを合法面に立てた一種の二重組織であったとするならば、戸坂らの努力は恐らく唯研内部にあったであろう党フラクションの意志から、文化運動の責めを果たすための合法性をどのように奪うか、というところにあったのではなかったか。

この部分の前に、警察側の史料が引用されていて、それによると、永田広志や平野義太郎たちが党中央にあたらしい研究組織の必要性を提案して、唯物論研究会ができたという趣旨の内容が書かれているのですが、それを受けての林さんの記述です。
で、唯物論研究会が合法的な場面で活動できたことは事実なのですから、その理由として、〈戸坂たちと党とが協力して、合法性の確保に努めた〉という解釈をするのが自然ではないかと思うのですが、林さんにはそうした思考はないようです。林さんの中には、〈党〉は〈大衆団体〉を引き回すこと以外の政策をとることはありえないという意識があるように見えます。だから、活動の広がりを、戸坂たちが〈党〉の思考を抑えたという解釈がすんなりと出てくるのでしょう。権力とたたかうよりも、〈党〉とたたかうほうが、林さんの関心事のようです。