敗北のプログラム

林淑美さんの『昭和イデオロギー』(平凡社)です。中野重治や戸坂潤、坂口安吾などを論じた論文集です。林さんは新潮社の文学アルバムの中野重治の巻の編集もした方で、そういう意味では専門なのでしょう。
巻頭の論文は、中野の「雨の降る品川駅」に関しての共同研究をもとに書き起こしたもので、初出の伏字の内容をめぐって、鋭い問題提起をしています。
普通選挙の1928年という年は、昭和天皇即位式「御大典」の年でもあり、天皇制を支配側が国民の中に根付かせようとした年であったという位置づけなのです。普通選挙陪審制とが、立法・司法の場での国民の統治機構への参加の側面もあり、それを通して、天皇を翼賛し輔弼する体制をつくったのだというのです。
そして、林さんが強調するのは、そうした時期に日本共産党コミンテルンの指示のもとに〈天皇制打倒〉の目標を掲げたのは、相手側の弾圧の意図を考えずにやった愚行だということなのです。当時の党のなかにも、天皇制についての議論がなされていなかったとか、コミンテルンの指示だから玉砕覚悟でいこうとかいう証言を利用しながら、相手側の弾圧の意思をはからず、後退する限度も考えずにスローガンをあげたのはまちがいだったといいたいようです。共産党がそのスローガンをかかげたために、権力の弾圧を招いたと、林さんは言いたいようです。
「いじめられる側に問題がある」という発言を連想させるのですが、政治団体が権力構造を分析しないで、なにが変革かという感じもするのですけれど、分析結果と政治目標とはちがうのだと林さんはいいたいのでしょう。それならば理解はできなくもないですが、同じことを林さんは、卒業式で〈君が代〉のときに起立しないで処分された東京都の教職員の方に、言えるのでしょうか。この論理をつないでいけば、〈起立しなければ処分が予想されるのに、そのことを考えなかったのは見通しが甘かったのだ〉ということになるというのは、こちらの思い過ごしでしょうか。