何かがちがう

トルコの作家、オルハン・パムクさんの『雪』(藤原書店)を、やっとこさ読み終わりました。一日寝込んでいた日もあったのですが、それにしても、この厚さの本にしては異常に時間がかかったような感じがします。悪い作品ではないのですが、どうもとっかかりがよくなかったようです。
この作品を、『民主文学』の文芸時評で三木朋子さんが絶賛しています。どうも昔から、三木さんとは好みがちがうようで、今回もそんな感じです。以前、『民主文学』が評論の募集をしたときに、三木さんが、風見梢太郎さんの作品をあつかったものを応募して、掲載されたことがありました。そのときにも、三木さんは、ある作品を切って捨てるような評価をしたのですが、そのときも、まったく逆のような印象をもったものです。
『雪』ですが、語り手の「わたし」が、主人公のKaという男がかかわりあった事件の様子をさぐるという構造が、なじめなかったのでしょうか。横光の『紋章』だとか、『ボヴァリー夫人』だとか、語り手の「私」が登場する作品は別に珍しくもないのだから、それが理由だとも思えないし。
そのへんは後日検討することにしましょう。