長い重みがあればこそ

講談社から出ている『中国の歴史』全12巻を読み終わりました。編集委員のひとりである、礪波護さんが指摘していることですが、こうした形で、他の国の歴史を多巻もので一般書として出せるということに、日本における中国の独自性があるというのはたしかにその通りだと思います。
そういえば、子どものころ、図書館で新人物往来社の出していた中国の歴史のシリーズ(今は中公文庫になっているやつのことです)を読んで、当時の日中国交回復とからめた中国ブーム(パンダのぬいぐるみも流行しました)ともからんで中国に関心をもったこともあったと思い出します。
以前、この欄で、〈革命現代京劇〉のことを書いたことがありましたが、あのころには、殷周時代の青銅器の展覧会が上野の博物館があって、それを観に行ったこともありました。本物の迫力というのは、やはりあるもので、ああした複雑なかたちを、鋳型にして溶かしこんでつくったというのも、当時の技術力と、それが社会の生産関係のなかでもっていた役割ということも考えたくなるようなものでした。
今回の講談社のシリーズは、新しい視点がいろいろあって、それも興味深いものでした。北方の歴史をキタイ(遼)からはじめて、金・元へとつなげていくというのも、今の研究の前線なのでしょう。