未来への信頼

直木賞作家、重松清さんの『娘に語るお父さんの歴史』(ちくまプリマー新書)です。
1963年早生まれのカズアキおとうさんが、1990年生まれの娘、セイコさんに自分の生きてきた時代を歴史として語っていく、という設定のものです。
その中で、永六輔さんの作詞で梓みちよさんの歌った、「こんにちは赤ちゃん」の歌詞を材料にして、当時の家族のあり方を考える場面があります。重松さんは、それを「パパママ家族」と呼び、考察するのですが、その中にこういうことばがありました。
「親の跡継ぎではなく、子どもを跡継ぎにもせず」
いわゆる〈昭和ヒトケタ〉に属するこの親たちは、いま70歳を少し超えたところでしょうか。このカズアキさんより2学年上のわたしには、この考察のことばのもつ意味が迫ってきます。親をどうするのか、といわれても、もともと親をどうするかを考えて職業を選んだということは、たぶん私たちの世代には(特に親が都会に出てきた2代目にあたる集団には)ないのではないでしょうか。そこが、かつて〈新人類〉と呼ばれた、この世代のひとつの特質なのではないかという感じがするのです。
しかし、この年になると、いつかは親の問題に直面せざるを得ません。「子どもを跡継ぎにもせず」を可能にするのは、それにふさわしい社会保障のありかたと密接に結びつくはずです。しかし、実際の日本のあゆみは、そうした方向には動ききってはいないでしょう。
カズアキさんは、自分たちの子どものころを、「未来が幸せだと信じられる時代」だったと位置づけます。それを今、確信をもって次の子どもたちにいえるのか。そこがこれからの問題でもあるのでしょう。