努力は認めますが

白樺文学館多喜二ライブラリーが主宰した、中国での小林多喜二シンポジウムの記録が本になりました。(東銀座出版社刊行)3年前からいろいろと多喜二に関する資料を集めたり、こうした集会を開いたり、関連する書物を編集したりと、ずいぶんさまざまな事業を行っています。
今回は、日本と中国・韓国のいろいろな人たちが集まっていて、東アジアでの多喜二の受け止め方の状況がある程度わかるというものです。それと、鹿地亘の、多喜二の死のときの記録文もおまけとして収録されていて、それは大切なものだと思います。
さて、でも気になったのが、その中の、倉田稔さんの文章です。最近の研究動向について語っているその文章ですが、それと、「なぜ多喜二があまり読まれなくなったのか」という疑問への回答として、「新しいタイプの文学」が登場したとのべ、その例に司馬遼太郎村上春樹とを並べたことです。
文学がわからないのなら、(倉田さんは経済学がご専門と聞いています)わからないといえばいいので、知ったかぶりをして司馬遼太郎村上春樹を並列させるというのは、何かずるい対応のように見えます。さらに、そうしたタイプの古い例として吉川英治まであげていますが、多喜二は『不在地主』のとびらに、吉川作品の名をあげて、(今すぐ出せるところにないので引用ができませんが)そうした作品のように気軽に読んでほしいという趣旨のことを書いています。当時からそうしたタイプの作品はあるのですから、こういう乱雑な書き方はないでしょう。