中国らしくない文学

変なタイトルですが、『現代中国文学』のシリーズの話です。
魯迅が日本に留学して医学を学んでいたことは有名ですが、他にも日本に縁のある文学者はいます。このシリーズのなかでは、郭沫若と郁達夫が該当します。郭沫若に関しては、澤地久枝さんの『昭和史のおんな』のなかに、彼の妻になった日本人の女性の話があったと思いますが、それはそれとして、郁達夫の作品です。
彼の「沈淪」がこのシリーズにのっているのですが、自己の進路に悩むインテリの姿が(それも日本に住んでいる中国人という設定なので、作者の体験が反映しているのでしょう)、同時代の日本のいわゆる私小説と似ているのです。中国文学ということから私たちが連想するような、社会と個人との関係をみつめて行動するような主人公ではないのです。
そう考えると、文学における「風土」の問題は、ひとすじなわではいかないような気がします。その作者が自分の位置をどう見ているのかが、問題なのでしょう。とりあえず、郁達夫作品は、大正私小説のなかにはいっても違和感がないことは表明しておきましょう。