予感をもつ

中上健次の『地の果て 至上の時』(新潮社、1983年)をずいぶん時間をかけましたが。
中上作品を読むのは久しぶりなので、人間関係をすっかり忘れていて、それはそれとして読んでいました。まあ、古本屋で初版が200円で出ていたから買ったという、動機も変だったのですが。
29歳の秋幸が、一人前のおとなとしてふるまっているし、周囲もそれを当然としているのは、30年前の時代なのでしょう。かれが、父親との対立の中で自分をつくってゆく過程は、この作品単独でもわからなくはありません。
書き下ろし作品なので、本の厚さが物語のわくとして最初からとらえられます。そこが、新聞や雑誌連載作品が、連載中はいつ終わるのかを予測できないのに対して、全体の流れを読むこともできます。考えてみれば、映画もドラマも、長さは最初から区切られているのですから、連載のほうが異様なのかもしれません。『あとこのくらいだから、どう作品世界を完結させるのか』を読者に考えさせるというところに、創る側の腕も問われるのでしょう。作者の側は、当然何かのわくを設けて作品世界をつくるのですから。