そもそも

金賛汀さんの『関釜連絡船』(朝日選書、1988年)です。
植民地支配時代の朝鮮半島について、基本的なことをおさえないわけにはいきません。インフラの整備は誰のために行われたのか(たとえば、連絡船が運航される前の釜山港は、はしけで陸とやりとりをしていたのを、港湾整備をした)のかとか、ほとんどの期間、朝鮮人の日本本土への渡航は制限されていたのに、日本人には制限がつかなかったこととか、そうしたことを知らないではすまされません。そうした、基本的なことをあらためて認識させられます。
当時、福岡の麻生炭鉱でも多くの朝鮮人がはたらいていて、事故で亡くなったひとたちも多かったようです。麻生太郎氏のことも思い起こしてしまいました。