読み解く

続日本後紀』(森田悌訳、講談社学術文庫全2冊、2010年)からです。
これは、9世紀前半の、仁明天皇の時代のことを書いてあるのですが、その中に伊豆諸島の神津島の噴火の記事があります。もちろん、当時の人びとの認識を文字にしたので、〈其形如伏鉢〉とあるから、溶岩ドームではないかと思うものが、神様の建物のように表現されていたり、やはり溶岩の形状を、人が剣を持っている姿に見立てたり、溶岩流とおぼしきものを、〈十二童子相接取炬、下海附火、諸童子履潮如地、入地如水〉などと表現しています。
もちろん、専門家の方は、そうした文献から噴火の実態を復元するのでしょうし、地震津波関係のものも、同様なのでしょう。
こうしたいろいろな伝承や事物の存在に、過去をみることは、もっと注意深くなれば、共有できるでしょう。奈良東大寺の大仏は、立派な大仏殿のなかに鎮座していますが、鎌倉長谷の大仏は、露座です。かつては大仏殿があったそうですが、いつのことか(専門家の方はご存知でしょうが)津波で流されてしまったといわれています。あそこは、今の海岸線からやや奥まったところにあるのですが、今回のことを考えると、決してありえないことではありません。相模湾津波が来れば、あのへんまで来る可能性を忘れてはいけないということです。1923年の大正関東地震津波は、里見とんの『安城家の兄弟』のなかに、主人公の家族が経験した話としてでてきたような記憶がおぼろにあります(今確かめられませんが)から、こうしたものも、知っておかなくてはならないのでしょう。