責務

とにかく、人災は避けなくてはなりません。

みんな、おとなしく、『計画停電』とやらに従おうとしているのに、その総元締めの態度は何だともいいたくなります。報道によれば、今回のマグニチュード9.0というのは、観測史上最高というわけではなく、1950年代から60年代にかけて、カムチャツカとかアラスカとか、チリとかで起きていて、チリの地震津波は、日本を襲ったものだというではないですか。にもかかわらず、発電所の建設に当たって、そのクラスの地震津波を想定していなかったというではないですか。

『天譴』ということばはよくないのですが、当局者がきちんと対応できれば、災害もみんなで乗り越えられるということを言っているのかもしれません。

小林信彦さんの『極東セレナーデ』(たしか初刊は朝日新聞出版)を思い出してしまいました。チェルノブイリを受けて、「日本は安全だ」というキャンペーンに新進アイドルを起用しようとするという話でしたね。

(誤解を招きかねないので追記します)
「天譴」というのは、「為政者が無策なので民衆が被害にあっている」ことを弾劾するためのことばです。この場合、民衆にはもちろん罪はありません。その点で、石原「天罰」発言とは別のレベルのものです。
けれども、どこかのブログ(すみません、本当にどなたのかわからないのです)で、みたのですが、1923年の関東地震のあと、芥川龍之介ほか何人もの人が、「天譴」を石原「天罰」と同じような意味で使っていたというのです。もちろん、それは誤用なのですが、そうした流れが、当時ある種の世論を作り出したのだと、その方は書いていました。
芥川全集は以前読んだことがあったのですが、そうした使い方をしていたのは失念していました。ただ、そういう前例をもちだして、批判されたら、「そうした誤解を招きかねないことばを使った」ことに関して、謝罪しなければなりません。もうしわけありません。