時は流れて

原武史重松清のおふたりによる対談『団地の時代』(新潮選書)です。
ふたりは同い年で、原さんは西武沿線育ち、重松さんは大学入学ではじめて東京暮らしをしたという経歴です。ですので、原さんの団地体験と、重松さんのニュータウン経験とが、団地のもつコミュニティ機能をあぶりだす結果となっています。
その意味では、原さんの『滝山コミューン』が描き出した世界が、必ずしも全面否定的なものとはいい難い(それは、この本を取り上げたときにも、ふれた記憶がありますが)ことを、あらためて考えさせるものになるのかもしれません。
前にも書いたかもしれませんが、原さんより2年上のわたしも、小学校高学年のとき、〈班〉活動を経験しています。〈班長〉が班員を指名できるシステムになっていて、まるでドラフト会議みたいな感じでしょうか(たしか希望がだぶるとじゃんけんかなにかで決めたような気もします)。そこそこの子ばかり集めたほうが、全体としてはうまくいくと考えて、いわゆる〈できる子〉も〈できない子〉も入れないメンバーを指名して、トップにもならないけれど、ビリにもならないという班運営をした記憶もあります(こまっしゃくれた思考ですね、われながら)。
今回の対談では、教育の問題よりも、場としての団地についての論なので、そこにうまれるコミュニティの質の問題としてとらえられます。それは、交通手段が公共交通なのか、自家用車なのかという問題ともかかわります。鉄道の持つ意味も考えるのは、原さんらしいといえるでしょう。
同世代的な感覚というものは、けっこう大切なものだと、こういうものを読むとおもいますね。東浩紀北田暁大のお二人の対談もありましたが、そちらよりも、うなずけるところが多いように思えます。