タイミング

『文藝別冊 太宰治』(河出書房新社)です。
といっても、浅尾大輔さんが書いているというので、それと、小野才八郎さんのインタビューだけですが。
浅尾さんの論考は、太宰治を痛打した宮本顕治の論立てを批判し、今の時代に、社会にあらがおうとする人びとが、太宰にどう向きあうのかに関しての問題提起となっています。

太宰作品は岩波文庫に1970年代にはいっていた作品と、「津軽」ぐらいしか知らないので、あまり言及はできないのですが、彼が戦前の一時期に、左翼の運動にかかわっていたというのですね。けれども、彼は、この本の年譜によれば、1932年の7月に、運動からの絶縁を明らかにしています。

これは根拠なしの発言として聞き流してほしいのですが、このとき、『日本資本主義発達史講座』が出始めたことと、太宰の離脱とは、無関係なのでしょうか。兄からの圧迫は、当然の前提なのですが、そこに、こうしたファクターを導入するのは、単なる時代背景にすぎないのでしょうか。

前に、寺出道雄さんの『山田盛太郎』を紹介しましたが、その中で、『日本資本主義発達史講座』に収録した論考をもとにした『日本資本主義分析』(今は岩波文庫にあります)が、モダニズムをのりこえるような関係になっているという趣旨のことを述べていたのが印象に残っています。『講座』は、日本社会の分析により、日本の変革のみちを指し示そうとする意図があったわけで、そこに、さまざまな毀誉褒貶があらわれるわけです。プロレタリア文化運動が、それ自体が組織ごとの弾圧の対象となっていくのも、このころです。

ちょうどそのとき、太宰は、社会変革の運動と縁を切るのです。もちろん、単に時期が一致しただけかもしれません。でも、そうではないのかもしれません。