若気のいたり

今週号の『週刊ベースボール』の、豊田泰光さんのコラムは、田村大五さんの追悼です。豊田さんと田村さんは、ほぼ同時(昭和10年の早生まれ)に生まれていたのだそうで、そうした世代的な共有感を抱いていたのだということです。
そこで初めて知ったのですが、田村さんは、終戦時に「満洲」にいたのだというのです。赤軍兵士といろいろと接触もあったとか。
先週、田村さんのお悔やみ記事を書いたとき、手紙を出したことを書きましたが、引き揚げの経験を持っている方に、「外地出身の選手をくくれば」ということを言うのは、いくら当時そういうことを知らなかったとはいえ、恥ずかしくなることだったと思います。
逆に、そうした過去をもちながらも、ていねいな返答をされた田村さんのあり方にも、学ぶべきものは多いと思います。