論立てとまではいかないが

加藤周一さんがなくなられて、いろいろと感ずるところもあります。
直接お目にかかる機会もなかったので、著作をとおしてのみのかかわりではあるのですが、考えてみれば、1975年に朝日新聞の夕刊に掲載されていた、「言葉と人間」のシリーズが、リアルタイムでの加藤周一を読んだはじめだと思います。
その連載は、一週間に一回のものでしたが、毎回、日本の本と外国の本とを交互にとりあげて、それを通して当時の社会状況を論じるものでした。紅茶きのこから『実験医学序説』へうつったり、狂言「くさびら」からベトナムへのアメリカの介入を考えたりと、広がりをもっていたものです。
加藤さんや、中村真一郎さん・福永武彦さんたちの仕事から学んだものは、なにより、古典をきちんと読むことの大切さではなかったかと思います。そうした土台の上に、現代があるのだということになるのでしょうか。『1946・文学的考察』には、のちの彼らからみれば、ずいぶんと過激な発言もあるのですが、そこからはじまった流れは、最後まで通じていたのでしょう。