赤裸裸

中本たか子さん(1903−1991)の『わが生は苦悩に灼かれて』(白石書店、1973年)です。
中本さんは、山口県出身で、小学校の訓導を退職して、文学の道にはいり、そのあとで、社会変革の運動に参加したという経歴の方です。この回想記は、1929年に社会変革の運動に参加しようとして、東京の下町に住むところからはじまります。新進作家としてそこそこ名の売れていた中本さんのところには、林芙美子なども新居を見に来たというのです。
その後、中本さんは自分の住居を非合法活動のために提供したり、みずから川崎の日本鋼管の下請け工場で働いたり、つかまって拷問の結果、精神に異状をきたして松沢病院に送り込まれたり、「転向」しなかったがために懲役4年の実刑判決を受けて広島県三次市にあった刑務所にはいるあたりで、記録は終わります。
当時の活動のもっていた弱点(中本さんは、非合法活動のなかで、一緒に住んでいた男性の子を宿してしまうのです)などにも臆することなく事実を書こうとする(回想記出版のとき、中本さんは70歳です)気迫が、そこにはあります。それとともに、そうした「弱点」を背負わせることになった、支配階級の弾圧の厳しさ(当時は労働組合の組織作りさえ、弾圧の対象になるのですから)、「転向」の有無だけで判決をくだす裁判官のありようなど、合理化してはいけない過去も、存在することは忘れてはいけません。
大日本帝国憲法の保障する権利は、あくまでも支配構造を変えないというわくの中のものですから。