七十年

やはり、きょうは、盧溝橋事件の日ですから、その話などを。
柳条湖のときとはちがって、現地では偶発的な事件として処理する方向にむかっていたのに、東京がこれを機に一気に中国をたたこうとしたというところが、この事件の本質的なところなのだと思います。それだけ、日本政府の中には、事態の推移に対して、不満を持っていた人たちがいたのでしょう。
この年には、年末に言論弾圧事件が続発します。人民戦線事件も、労農派の論陣をくだく意図があったのでしょうし、宮本百合子中野重治たちの執筆禁止も、その一環とみてよいでしょう。徳永直の絶版声明というおまけまでついてきましたし。
石川淳の「マルスの歌」の弾圧は、菊池寛をびびらすのに十分だったと思いますし、そういう点では、この年は、大きく日本がそのあとの進路を定めた(結果は国土が焦土になるわけですが)ということになるのでしょうか。
執筆禁止になるまでの百合子たちの活動は、きちんとまとめておかなければならないのだと思います。『宮本百合子全集』の評論の巻をみていると、1937年は横光利一の「厨房日記」批判からはじまります。前の年にフランスの人民戦線内閣とベルリンオリンピックをみてかえってきた横光が、日本への回帰をはじめるのがやはりこの年で、「厨房日記」から「旅愁」へとつづくみちがこのときはじまります。そういう点で、百合子のしごとがここからというのは、意味のあることだったでしょう。