ホールデンとドロレス

タイトルどおり、ナボコフの「ロリータ」(若島正訳、新潮文庫)です。
ナボコフ作品は、「一ダース」をむかし読んだことがあるのですが、それ以来ということになります。1940年代後半のアメリカが描かれているわけで、そういう点では、当時の青少年の生態ということにかんしていえば、サリンジャーライ麦と似通っている点もあるような感じがします。
主人公は妻の連れ子であるドロレスに性的関心をもって、そのために妻と結婚して、妻が事故で亡くなった後にドロレスと性関係をもつのですが、実はそのとき、すでにドロレスは性交の経験をもっていたという設定なのです。また、主人公が一年近くドロレスを合衆国のあちこちにひっぱりまわして、そのあとで入れた、当世風の学校が、性的な成熟に関して、「開けている」というのも、作者のアメリカへのシニカルな視点がみてとれます。
一方、ホールデン自身はまだ性体験はしていないという設定だったと思いますが、あわやというところまでいっていたり、すでに経験済みの同級生がいたりと、そうした環境にあります。そういう面では、亡命ロシア人のナボコフは、アメリカ社会のある側面を、この作品のなかで描き出そうとしているという見方もできるでしょう。それがすべてではないのも、事実ではありますが。
文庫版の解説を大江健三郎さんが書いていますが、そこで「のろけて」いるのも、読むとおもしろいものです。
でも、何回も読み返したいと思うかは、微妙ですね。

作中で、ドロレスがテニスを習う、かつての名選手がいるのですが、注釈によれば、ティルデン選手だということで、これはむかし「フェアプレー」のお手本とされた清水選手の相手だった人でしょうか。注釈には、そういうこととは全く無縁そうなことしか書いてなかったのですが。